iPhoneは便利だ。始めこそ使いづらいと思ったが、今では大分慣れ始めている。特に便利だと思ったのは地図のアプリだ。これを使いながら歩いていると、いよいよ未来っぽいその感じに、すごい時代だなと思ってしまう。最近の携帯事情に疎かったせいでいちいち感心している自分が原始人みたいで恥ずかしい。便利だなー、iPhone。
この地図アプリがある限り、もう道に迷うこともなかろう。チャリにもEdgeがついてるし、ナビナビな俺。
ふと、でも、なんだろう、この変な悲しさは。「もう道に迷うこともなかろう」……。もう道に“迷えない”?
もともと、日常から切り離された非日常みたいなものを求めて自転車で遠乗りしたり、知らない町を散歩したりする。江ノ島まで往復したとき、散々道に迷って、地図とコンパスでなんとか夜中に帰ることができた。行ったこともない町、通ったことがない道が、日頃のルーチンですっかり蜘蛛の巣張ってる脳に刺激を与えた。
でもこのiPhoneを持つ今、いよいよ全てが予定調和と化すような、だって道が一本示されてしまったら、僕はきっとそれを通ってしまうだろう。いかにも大冒険したみたいな気分になるかもしれないが、実際は言われたとおり移動しただけなような、虚しさに気づいてしまうかもしれない。
iPhoneを家に置いて行く?きっと僕はそれをしない。もうできない気がする。「いや、持って行けば万が一のときに役立つし」…こうして貴重な“万が一”のピンチは、その裏に安心感を備えたハリボテとなる。遊園地のアトラクションみたいに。
もう迷うことはないだろう。全ての道は記され、示されている。僕は捕捉され続けている。とてもよいひとつの名案は、iPhoneを右手に持ち、助走をつけ、腰のひねりから腕をムチのようにしならせ、手首のスナップをきかせて、全力で橋から川にぶん投げてしまうこと。これは爽快だ。でも僕はそんなことしない。少なくとも分割払いが済むまであと二年はしないだろう。これがiPhoneの生む悲しみだ。日々がまた、少し閉塞した気がするよ。この忌々しく、そして果てしなく便利な端末。
— 悲しみのiPhone - レス・フロムファー (via kazukij)
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